イノベーションという言葉が一般的になって以来、多くの企業が「イノベーションを起こせ」と躍起になっている。しかし、イノベーションの本質を知らないままやみくもに成果だけ求めても、コストばかりかかって大した結果がでないということになりかねない。
2022年4月に書籍『イノベーションの競争戦略』を出版した内田和成氏と、内田氏が主宰するイノベーション研究会の掛谷誠氏と中西美鈴氏が、イノベーションの本質とイノベーションを起こすための視点を解説する。聞き手はトレジャーデータ株式会社の小林が務めた。
※本記事は、トレジャーデータ株式会社が2022年4月に開催したウェビナーをもとに編集しました。
「我が社にはイノベーションが足りない」。「イノベーションを起こさなくては」。
こんな言葉を聞いたことのあるビジネスパーソンは多いだろう。
イノベーションとは本来手段であり、目的やゴールがあって初めて成り立つものだと内田氏は指摘する。イノベーション自体を目的にしてしまっては本末転倒になる。
「顧客や社会の行動を変えることができて、はじめてイノベーションといえるのではないか」。それが、内田氏とイノベーション研究会が「イノベーションとは何か」を研究してたどり着いたひとつの結論だ。
人々の行動が変わらなければ、いくら新しくて画期的な技術や製品を開発したとしても「インベンション(発明)」であって、イノベーションではない。翻って、新しい技術を用いなくとも世の中を変えることができたら、それはイノベーションといえるのではないか。
内田氏らがウェビナーで語った内容を、さらに紹介していこう。
イノベーション研究会では、イノベーションのドライバー(きっかけ)となる3つの要素を「イノベーションのトライアングル」に表している。
「技術革新」は新しく発見・開発された技術や知識、それを用いて作られた製品自体の進化、「社会構造」は我々を取り巻く社会状況、「心理変化」は人々の心理の変化を表す。
一般的にイノベーションというと「技術革新」に注目が偏りがちだ。しかしそれだけではなく、「社会構造」と「心理変化」を含めた3つの要素がイノベーションを押し進めたり、イノベーションにブレーキをかけたりする要因になると内田氏らは提唱している。
イノベーションを起こそうとするならば、新しい技術の開発はもちろん、世の中で起きている社会構造やユーザー心理の変化にもアンテナを張っておく必要があるだろう。
リモートワークの普及によって、Web会議は一般的になった。中でも高いシェアを占めるツールが「Zoom」だ。Web会議のことを「Zoomする」というユーザーもいるほど浸透しており、ビジネスシーンを大きく変えたイノベーションだといえる。
Zoomのイノベーションには「社会構造」と「心理変化」が深く関係している。新型コロナウイルスの感染拡大により、人の密集を回避し、対面での会話を控えるべきという「社会構造」における要請や「心理変化」が起き、イノベーションを強く推進することとなった。
掃除の負担を減らして人々の生活を大きく変えた例が、iRobot社のロボット掃除機「ルンバ」だ。ロボット掃除機の代名詞といってよいくらい一般的になっている。
ルンバの大きな価値はもちろん「自律して掃除をしてくれるロボットである」という点だが、共働き世帯の増加という「社会構造」、きちんと掃除はしたいが家事の時間は減らしたいという「心理変化」の影響も忘れてはならない。
3つのドライバーがイノベーションに対してマイナスに働く場合もあるとして、内田氏はこんな例を紹介した。
たとえば、新しい医療技術が発明されたとする。この技術がどんなに優れていたとしても、「長年使われていて安全が証明されたものを使いたい」「訴訟になるリスクを避けたい」といった医師側の不安を払拭できなければ、広く普及させるのは難しいだろう。
「心理変化」の要素がイノベーションにブレーキをかけることもあるのだ。
トライアングルの3要素は、あくまでイノベーションが始まるきっかけにすぎない。きっかけを得て動きだした取り組みは、「価値創造」「態度変容」「行動変容」という3ステップを経て、世の中を変えるイノベーションとなる。
「価値創造」とは新しい価値を有した商品・サービスを生み出すことだ。しかし冒頭で触れた通り、新しい価値を生み出しただけではイノベーションとはいえない。この価値によって世の中の考えや習慣を不可逆的に変えたとき、真にイノベーションと呼ぶことができる。
世の中の変化には「態度変容」と「行動変容」の2段階がある。「態度変容」は一時的な価値観の変化、「行動変容」は持続的かつ不可逆な価値観の変化だ。人々の「行動変容」を起こしたプレイヤーがイノベーションにおける勝者だといえる。
勝者がいる一方で、画期的な製品を生み出したものの世の中の価値観は変えられなかったケース、一時的な価値観の変化はあっても持続性がなかったケースなど、イノベーションには至らないことも多いという。
行動変容を達成したイノベーションの例として、トイレの温水洗浄便座(ウォシュレット)がある。「なかった頃には戻れない」という人も多く、人々の行動や習慣を不可逆的に変化させたといえる。
発売当初はなかなか普及しなかったものの、清潔志向の高まりという「心理変化」や和式トイレから洋式トイレへの変遷という「社会構造」、洗浄機能の改善という「技術革新」がドライバーとなり、徐々に普及してイノベーションを起こしたのだと、掛谷氏は説明する。
では、行動変容が起こせれば安泰かというと、必ずしもそうではないという。
行動変容によって、社会構造や人々の心理はさらに変化する。ドライバーとなる要素が新しくなり、そこが次のイノベーションの始発点となっていく。
イノベーションのトライアングルは絶対的なものではなく、常に変化していく。だからこそ、市場の変化を読み続けるのではなく「市場そのものを作り続けていく」という戦略もありえるのだと内田氏は指摘した。
行動変容を起こしたプレイヤーが勝者になるということは、価値を創造したプレイヤーと行動変容を起こしたプレイヤーが別でもよいということだ。つまりイノベーションを起こすにあたって、新しい価値を生み出すのは絶対条件ではない。
行動変容を起こすまでには至っていない新しい価値を、後発者が磨き上げたり別市場に転用したりすることでイノベーションを起こせることもある。イノベーション研究会ではこれを「逆転のイノベーション」と呼んでいる。
先に出したZoomを例に説明しよう。Web会議ツールの技術自体はZoom以前からあった。しかし、Web会議ツールにおける価値創造をしたのはZoomではない。彼らが成し遂げたのは、Web会議を世の中に広め、人々の行動変容を起こしたことだ。つまり、先行者が創造した価値をうまく磨き上げ、自社で価値創造することなくイノベーションを起こすことに成功したというわけだ。
価値創造をしたもののイノベーションには至らなかった先行者と、イノベーションを起こすことに成功した後発者との違いは何だろうか。それは「顧客にとってより便利で、よりよい体験とは何なのかを考え抜いたかどうかに尽きる」とイノベーション研究会の中西氏は考えていると語る。
行動変容を起こすためには、イノベーションによって顧客の生活がどう変わるのか、どう変えたいのかを考え、そこから逆算して考えるのが重要なのだという。
デジタルの普及につれ、顧客との接点や、そこから取得できる顧客データは飛躍的に増えた。イノベーションのドライバーを捉え、ユーザーに態度変容や行動変容が起こっているかを知るには、データ分析が欠かせないと内田氏は指摘する。
しかし、膨大なデータすべてを分析しようとすれば情報におぼれてしまう。必要な情報を取捨選択しなくてはならない。その際に軸となるのが、「何のためにデータを使うのか」、「データを使って何をしたいのか」という問題意識だ。
問題意識を持ってデータを見ることで、そのデータが何に使えるのかがわかってくる。かつて、米GE社のベスト・プラクティスチームが他社の優れた活動や取り組みを研究した際、多くの企業は自社の強みに気付いていなかったという。GEのチームは他社の優れたところを一般化して自社に応用できないかという問題意識を持っていたからこそ、他社の中からヒントを見つけることができた。
問題意識のある/なしで、同じデータがゴミの山にも宝の山にも見える。ニュートンがただ漫然と木から落ちるリンゴを見たとしても、万有引力を発見することはできなかっただろう。日頃から「なぜ物は下に落ちるのか」「なぜ上に浮かばないのか」といった問題意識を持っていたからこそ、リンゴをきっかけに大発見ができたのだ。
イノベーションの本質は、新しい価値を作り出すこと自体ではなく、それによって世の中を変えることだ。日頃から社会や顧客の変化に対してアンテナを張り、意識的に物事を見つめることがイノベーションへの第一歩となるだろうと内田氏は語った。