ブラザー販売株式会社

ブラザー販売が取り組む、IoT×VOCを用いた顧客体験向上とCDPを活用したDX戦略

株式会社Looop
マーケティング本部 本部長
小林 克明
 
株式会社Looop 
マーケティング本部
CX推進部 CX推進課 課長
舟久保 拓哉

プリンターやミシンといった製品は、一度購入されればしばらく買い替えが起きない「売り切り型」の代表格だ。しかし、製品が顧客の手元で使われ続ける限り、そこには利用体験という長い時間が流れている。この時間にどう寄り添い、「次もブラザーがいい」と感じてもらえる関係をいかに築くか——。国内でプリンターやミシンのマーケティング・営業・サポートを担うブラザー販売は、CDP(カスタマーデータプラットフォーム)を軸に、IoTログと顧客の声(VOC)を掛け合わせた顧客理解の深化に挑んでいる。

チャネルを介して製品を届けるBtoBtoCという構造ゆえにエンドユーザーの情報を直接得にくい同社が、どのようにデータを獲得し、施策へと変換し、さらにはデータ増加に伴うインフラ課題までを乗り越えてきたのか。ブラザー販売株式会社マーケティング・DX推進部の山本宗平氏が、その実践を解説した。

 


目次

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「売り切り型」からの脱却——年賀状需要の激減が迫る価値の再定義

ブラザーは1907年、名古屋市でミシンの修理業として創業した企業である。今日ではミシンやプリンターに加え、産業用機械、多様な事業を持つグループへと成長した。そのなかでブラザー販売は、国内のプリンター・ミシンのマーケティング、営業、サポートを担う会社として位置づけられている。

同社がいま向き合っているのが、国内プリンター市場の構造的な変化だ。日本のBtoC(一般家庭)向けプリンター市場は、長らく年賀状の印刷需要に牽引されてきた。しかし、その需要は大きく減退している。「年賀状の発行枚数は、2004年のピーク時には44億枚あったが、直近ではその約3分の1にあたる14億枚にまで減少している」と山本氏は語る。生活者としても実感のあるこの数字は、マスの需要に支えられてきたプリンタービジネスの前提が崩れつつあることを物語っている。

こうした環境のなか、ブラザー販売が掲げるのが「お客様に届ける価値の再定義」だ。年賀状という画一的な用途に依存するのではなく、一人ひとりの顧客がプリンターをどう使い、何を期待しているのかを丁寧に理解する。山本氏はこのアプローチを「お客様の解像度を上げる」と表現する。そして、高まった解像度をもとに各種施策を実行し、「次もブラザーがいい」と言ってもらえる関係性を構築していく。これこそが、売り切り型から継続的な関係構築型へと事業をシフトさせる鍵だという。

データのサイロ化と「量と質」——CDP導入が築いた土台

この方針を進めるうえで、同社は大きく2つの課題に直面した。1つはデータのサイロ化、もう1つはデータの「量と質」である。

1つ目のデータ分散については、多くの企業と同様、部門ごとにデータがばらけている状態だった。この課題に対して同社は、2022年にトレジャーデータのCDPを導入。購入から製品利用、そして再購買へと至る一連の流れを1つのデータベース上で捕捉し、活用していく基盤を構築した。

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しかし、マーケティング施策を実行するうえでより本質的に重要だったのが、2つ目の「データの量と質」だと山本氏は強調する。ブラザー販売はチャネルを介して製品を届けるBtoB2Cのビジネスモデルを採っている。製品を届けるうえでは効率的なチャネルビジネスだが、顧客の解像度を上げるという観点では「お客様の情報を私たちが直接知り得ない」という構造的な弱点を抱えていた。

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この課題を解決するため、同社は古くから「ブラザーオンライン」という製品登録サイトを運用してきた。しかし、かつてのブラザーオンラインは「お客様にとって、登録するメリットを見出しにくいものだった」と山本氏は率直に振り返る。そこで同社は、顧客にとって分かりやすいメリットを提示する施策へと舵を切った。2017年には延長修理サービス「ハイプリ」を、2020年にはインク交換や製品登録などでポイントを付与する「トク刷るポイント」を立ち上げた。修理やポイントといった具体的なインセンティブを示すことで、顧客に自社とつながる動機を提供し、不足していたデータの「量」を担保していったのである。

IoTデータが実現する「修理の未然予防」という新しい体験

これらのサービスは、データの量を確保するだけでなく、「質」を高める役割も担っていた。サービス利用にあたり、顧客には自身のプリンターを同社のサーバーに接続し、IoTデータを定期的に送信してもらう。これによって、従来は分からなかった「このお客様は月間何枚印刷しているのか」「どの機能をよく使っているのか」といった利用実態が、データとして可視化されるようになった。

「過去はユーザー登録システムに登録されたデータのみで、”自社製品を持っているお客様”、程度の解像度しかなかった。IoTデータを加えることで、同じ製品を持つお客様でも、たくさん印刷する方と少ししか印刷しない方というグラデーションをつけてデータを見られるようになった」

(山本氏)

このIoTデータを活用した象徴的な施策が、「修理の未然予防」だ。プリンターのトラブルには、顧客自身で復旧できるものが少なくない。その代表例がインク詰まりである。同社は、一定期間IoTデータを送信してこないプリンターをCDP上で検知し、長く電源が入っていない状態にあると推定する。そのうえで、持ち主に対して「そろそろプリンターの調子を見て、クリーニングした方がよい」と働きかける。早期に対処すれば、顧客自身の手で解決できるトラブルだからだ。

この施策は、顧客と企業の双方にメリットをもたらす。顧客にとっては、印刷したいと思ったときに印刷できる環境が保たれ、修理や買い替えといった経済的負担を避けながら快適に使い続けられる。一方のブラザーにとっても利点がある。トラブルが起きれば顧客はコールセンターに問い合わせるが、その対応にはコストが発生する。トラブルを未然に防いで問い合わせ件数を減らすことは、「トップラインである売上には直接寄与しないものの、利益を創出する活動になる」と山本氏は説明する。顧客体験の向上とコスト削減を同時に実現する好例だといえる。

VOC(顧客の声)を掛け合わせ、「感情」のデータで解像度を高める

もっとも、IoTデータも万全ではない。山本氏は「IoTデータはプリンターという機械から送られてくる非常に無機質なデータであり、それだけでは顧客の感情までは分からない」と指摘する。たとえば同じ月100枚を印刷する顧客であっても、ポジティブな気持ちで使う人もいれば、使いづらさを感じながら使う人もいる。

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そこで同社が取り組み始めたのが、VOC(顧客の声)の収集だ。製品登録を起点として、まずセットアップ体験を評価してもらい、一定期間の利用後には製品本体のスペックや満足度を尋ねる。サポートやコールセンターを利用した際には、その対応を評価してもらい、登録から1年後には総合満足度を聴取する——といった具合に、顧客の行動や体験に応じて段階的に声を集めていく仕組みを整えつつある。

従来、同社は「リレーショナル調査」として、年に一度、自社が決めたタイミングで顧客の意見を集めていた。しかし、プリンターは使うときには意識が向くものの、使っていないときには意識が向きにくい製品だ。意識が向いていないタイミングで過去のことを聞かれても、顧客は正しく答えられない。そこで、顧客の行動や体験をトリガーとしたトランザクション型の調査へと切り替え、より正確な情報を収集し、それをもとに各接点の施策を改善していこうとしているのだ。

このデータが大量に蓄積されていけば、さらに踏み込んだ活用も視野に入る。「初めはポジティブな気持ちで使っていたお客様が、年月を経るごとにネガティブな反応を増やしていく。こうした変化を検知できれば、離反の予兆と定義して、離反予防の施策を展開していくことも将来的には可能になる」と山本氏は展望を語る。データの蓄積が始まったばかりの段階ではあるが、生成AIが普及する昨今、質の高いデータを集める努力は日々続ける価値があるという。

ここまでの取り組みを、山本氏はこうまとめる。「私たちのように、本質的にはエンドユーザーの情報を得にくいBtoB2Cのビジネスモデルを持つ企業であっても、自分たちで取得できる事実——当社の場合はIoTデータに、お客様の評価を掛け合わせることで、顧客理解と解像度を上げることができる」。2022年のCDP導入以降、「数年前と比べて、圧倒的にお客様への理解が深まったという実感がある」と手応えを示した。

データ爆発がインフラを直撃——MAからエンゲージスタジオへの統合

しかし、顧客理解が深まる一方で、新たな課題が浮かび上がる。ここから山本氏は、マーケターの視点からインフラ運用者の視点へと話を移した。同社のカスタマーデータグループは、CDPをはじめとするマーケティングインフラを適切に維持・運営する責務も負っているからだ。

IoTデータをはじめとする、日々更新される顧客のビヘイビア(行動)データは近年急増している。かつては登録された属性データと製品保有データを扱う程度だったが、ビヘイビアデータの増加によって各インフラにかかる負荷が劇的に増大した。「IoTデータを取得できるプリンターの台数は、5年前と比べて約12〜13倍に増えている」と山本氏。膨れ上がったプリンターが日々IoTデータを送信してくるため、処理すべきデータ量は爆発的に増加し、従来のマーケティングインフラが悲鳴を上げ、実際にサーバーが数回ダウンする事態も経験したという。

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システムがダウンすれば、顧客体験向上を掲げて構築したMA(マーケティングオートメーション)のシナリオも一切回らなくなる。システムの安定稼働は喫緊の課題となっていた。

問題の所在は明確だった。大量データを扱う前提のトレジャーデータCDPの部分には問題がなく、ボトルネックはCDP導入以前から稼働していたMAにあった。大量データの処理に追いつかず、落ちてしまうのだ。同社は、システムの不安定さに加え、データ増加に伴う運用経費の増大という、運用とコストの2つの課題に同時に直面していた。

この解決策として同社が選んだのが、2025年8月に導入した「エンゲージスタジオ」だ。エンゲージスタジオと、トレジャーデータが既に備える「カスタマージャーニーオーケストレーション」を組み合わせ、MA相当の機能をCDP上で再現した。これにより、システム間で大量のデータをやり取りする必要がなくなり、システム全体の安定稼働が実現。同時に、運用経費の課題も解消できたという。

コスト面では、旧MAの資産を一部除却する会計処理が発生したため、エンゲージスタジオ側の初期コスト(発射台)はやや高くなったものの、「2年間運用すれば損益的にメリットが出る」という試算を得ている。実際の運用経費もその通りに推移しており、近い将来コスト的に優位へ転じると見込んでいる。

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切り替えのプロセスも比較的短期間で完了した。2025年4月に現行MAの業務要件を整理し、トライアルと稼働判定を経て、同年8月に切り替えを実行している。山本氏は、この経験を通じて重要な学びを得たと語る。「マーケティングツール自体も日々進化しており、導入当時には想定していなかった機能が追加されることもある。新しい機能を使っていくだけでなく、自分たちが使っているプラットフォームを定期的に見直し、マーケティング基盤やコストの最適化を図ること。これも、これからのマーケターに求められる一つの要素だ」。

顧客体験向上は「始まったばかり」——生成AIで加速するPDCA

待を寄せる。たとえば、すでに多くの顧客が利用する自社アプリ「ブラザーモバイルコネクト」に対してエンゲージスタジオからオファーを届けられれば、より多くの顧客にリーチし、修理の未然予防のような取り組みへの反応を広げられる。山本氏はこうした機能拡張への期待を語った。

最後に山本氏は、一連の取り組みをこう位置づけた。「顧客体験の向上は、まさに今始まったばかりだ」。今後は、すでに蓄積したデータと、これから貯めようとしているデータを、トレジャーデータの生成AI機能などを用いてより精緻に分析し、PDCAサイクルをより速く回すことで、顧客体験の向上につなげていきたいという。

エンドユーザーの情報を直接得にくいというハンディを、IoTという「事実」とVOCという「感情」の掛け合わせで乗り越え、さらにデータ増加に伴うインフラ課題までを統合的に解決してきたブラザー販売のデジタルマーケティングの歩みは、これからさらに様々な顧客体験を生み出していく。

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